「源氏物語」は、日本が世界に誇る文化遺産として、筆頭に挙げてもいい傑作長編の大恋愛小説である。今から千年も昔、わが国の王朝華やかなりし平安時代に、紫式部という子持ちの一寡婦の手によって、その偉業が果たされていた。小説が傑作とされる条件とは、内容の面白さ、文章のよさ、登場人物の魅力、読後に余韻を引く感銘度などなどであろう。「源氏物語」は それ等の条件を全て具えていた。
光源氏と呼ばれる希有な美貌の持ち主で、文武両道のあらゆる才能に恵まれ、妖しいほど魅力的な上、人並み以上に多感好色な一人の皇子を主人公としている。光源氏の誕生前の父帝と生母の恋から源氏の死後は、その孫の世代の恋愛事件にまで及ぶ、源氏を中心に四代にわたる恋愛小説ということになる。
作者複数説もあるが、根拠はなく、式部自作の家集「紫式部集」と、「紫式部日記」には、「源氏物語」の名も度々現れており、今では、式部一人の作という説で落ち着いている。
式部は、生年月日も、官名も定かではない。当時の女は皇后、皇女、最高級貴族の娘でもないかぎり、名前は残されていない。宮仕えすれば、父や夫や兄の官名につなんで呼ばれた。清少納言や和泉式部もその例である。
紫式部がなぜこんな大作を書き残すことが出来たのか、父、母の家系ととも、摂政大政大臣藤原良房の兄弟を先祖にしている名門ではあるが、父母の代では、受領階級で、一流の貴族階級からは落ちている。ただし、両家系とも代々歌人として認められ、文系の才能が伝わっていた。
おびただしい蔵書のある生家で、十余歳の頃には、いっぱしの文学少女になり、小生意気だったようである。
物語は一帖ごとに帖名を立てた全五十四帖で、「桐壺」の帖から「夢浮橋」まで現代の四百字詰原稿用紙では、大方四千枚、登場人物も四百三十人にも及ぶ。
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