天恩山五百羅漢寺はもともと本所五ツ目(現在の江東区大島)に創建され、五代将軍綱吉さらに八代将軍吉宗の援助を得て繁栄を誇り、「本所のらかさん」として人びとから親しまれていました。
当寺の羅漢像は、元禄時代に松雲元慶禅師が、江戸の町を托鉢して集めた浄財をもとに、十数年の歳月をかけて作りあげたものです。五百体以上の群像が完成してからもう三百年の星霜を重ね、現在は東京都重要文化財に指定されています。(現存三百五体)
しかし、明治維新以来衰退し、明治四十一年に目黒のこの地に移ってからも、雨露をやっとしのぐほどの無残な状態が続きました。羅漢像の将来が心配されていました。
昭和五十四年になって、日高宗敏貫主によって再建計画が立てられ、多くの困難をのりこえて昭和五十六年に近代的なお堂が完成し、名実ともに「目黒のらかんさん」としてよみがえりました。(五百羅漢寺縁起より)
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