徒然なるままに what'new
HOME 源氏物語 コレクション 散歩・23区内 日帰り・プチ旅 よくばり日記

目黒不動尊界隈を歩く

←散歩のTop
 大円寺 → 大鳥神社 → 大聖院 → 幡竜寺 → 海福寺 → 五百羅漢寺 → 目黒不動尊




大 円 寺

目黒駅西口を出て、左折するとすぐに急勾配の行人坂がある。江戸市中から目黒不動尊への参拝路で、行者が往来したことから行人坂と呼ばれるようになったとのこと。大円寺は坂の途中にある。



振り袖大火、丙寅の大火、行人坂の大火は江戸の三大大火。明和9年(1772)の行人大火は、大円寺が火元とみられることから、焼死した人々を供養するために、天明頃(1781〜9)境内に五百羅漢を建立したと言われている。


八百屋お七の碑とお七地蔵が奉られている。お七と吉三(きちざ)とは、火事で焼け出され身を寄せたお寺で恋仲となったが、その後離ればなると、お七は、吉三に会いたい一心で自宅に放火してしまう。罪状は重く、江戸市中引き回しのうえ鈴ヶ森で処刑された。
お七の菩提を弔うため、 恋人吉三は出家して名を「西運」と改めた。江戸市民から寄進された浄財を基に、行人坂を石畳に直したのも、目黒川に太鼓橋を架けたのも、この西運なのだという。
お七が命がけで恋した人は、素晴らしい人物だったようだ。


「とろけ地蔵」お顔のない何とも奇妙なお地蔵様だが、顔ではなく悩みをとろけさせてくれるのだそうだ。
大円寺は、山手七福神の一つで、「大黒天」が奉られているお寺だけれども、本堂の前には、石の七福神像があるので七福神巡を巡らずに一度にお参り出来てしまう。
とろけ地蔵 山の手七福神


身代わり地蔵  大日如来  六地蔵  道祖神 境内に奉られている仏様たちが可愛らしい




大鳥神社

大鳥神社は、平安時代に創建された。約1200年の歴史があり、目黒では最も古い神社。毎年11月の「酉の市」は有名で、商売繁盛・開運招福の神様なのだそうだ。境内のあるキリシタン灯籠。





大 聖 院


大鳥神社の隣にあるのが大聖院。境内には見慣れない形の灯籠が目にはいる。近づいて見ると、「切支丹灯籠」の記載あり。

三基の切支丹灯籠は、三田千代ヶ崎の旧島原藩主松平下下屋敷、小祠に隠されていたが、大正15年に大聖院に移されたものだそうだ。

この灯籠は徳川幕府から弾圧された隠れ切支丹が密かに礼拝したもので、歴史的に文化的価値が高く、数少ない灯籠なのだという。



切支丹灯籠 普照堂




幡 竜 寺


幡竜寺には変わった恵比寿様が奉られていて、江戸名所図会にも記載されているというので立ち寄ることに。本堂横の祠に山手七福神の石の弁天様が、本堂には木製の弁天様が奉られている。また、「おしろい地蔵」の異名をもつお地蔵様も奉られています。


本堂 おしろい地蔵



石の弁天様




海 福 寺


元治元年(1658)明より帰化した僧、隠元によって深川に創建された。
明治43年に水害に見舞われ、現在地に移転されたもので、赤い四脚門は、明治後期に上落合の泰雲寺移されたものだそうだ。


山門傍らの「永代橋沈溺諸亡霊塔」は、文化四年(1807)富岡八幡宮例祭の折永代橋が落ちて遭難した人々の供養塔。
台石には、由来と遭難者名が刻まれている。


お寺と共に移築された梵鐘は、都の指定文化財 武田信玄の屋形に置かれたいたと伝えられている九層の塔




五百羅漢時


正直申しまして、入り口を見ただけでは、これ程凄いとは思いもしなかった。今までお参りした五百羅漢とはかなりイメージが違う。。
重厚、荘厳、なんと言ったらよいのか、圧倒された。仏教の教えも解らない者だけれども、お参り出来て、本当に良かったと思っている。


天恩山五百羅漢寺はもともと本所五ツ目(現在の江東区大島)に創建され、五代将軍綱吉さらに八代将軍吉宗の援助を得て繁栄を誇り、「本所のらかさん」として人びとから親しまれていました。

当寺の羅漢像は、元禄時代に松雲元慶禅師が、江戸の町を托鉢して集めた浄財をもとに、十数年の歳月をかけて作りあげたものです。五百体以上の群像が完成してからもう三百年の星霜を重ね、現在は東京都重要文化財に指定されています。(現存三百五体)

しかし、明治維新以来衰退し、明治四十一年に目黒のこの地に移ってからも、雨露をやっとしのぐほどの無残な状態が続きました。羅漢像の将来が心配されていました。
昭和五十四年になって、日高宗敏貫主によって再建計画が立てられ、多くの困難をのりこえて昭和五十六年に近代的なお堂が完成し、名実ともに「目黒のらかんさん」としてよみがえりました。(五百羅漢寺縁起より)



五百羅漢寺入り口 らかん亭本格的な和食のお店



松雲元慶禅師像




竜 泉 寺

通称目黒不動尊


台道3年(808年)滋覚大師にが、不動明王を安置して開創したと言われているが、東国には円仁改基の伝承を持つ寺院が多く、龍泉寺の縁起もどこまで史実か不明とのこと。
1615年に本堂が焼失したが、1624年徳川家光により再建されて後、徳川幕府の庇護をうけるようになった。
また、落語目黒の秋刀魚は、この付近にあった参拝者の休息所「爺が茶屋」が舞台とされているそうだ。


仁王門は昭和の再建

阿弥陀堂(観音菩薩・勢至菩薩・阿弥陀如来) 観音堂(聖観音・千手観音・十一面観音)


仏具「独鈷」を投げると水が湧いたという伝説のある「水かけ不動」 「前不動堂」東京都の有形文化財に指定されている


本堂裏の大日如来像 女坂にある役行者像 役行者の並ぶ不動明王剣


龍泉寺の裏門近くの墓地に薩摩芋で有名な青木昆陽のお墓


目黒不動尊界隈の散策はこれにて修了


   HOME    散歩のTop     このページのTop